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日本で理系の研究をしたい方へ!京都大学で免疫ゲノム医学を学ぶ留学生にインタビューしてきました

日本で理系の研究をしたい方へ!京都大学で免疫ゲノム医学を学ぶ留学生にインタビューしてきました

今回は京都大学の本庶佑教授の研究室で免疫ゲノム医学の研究に携わる皆さんを取材しました。本庶教授は次期ノーベル賞の有力候補とも予想される免疫医学の分野で広く認められた方です。
中国出身の尹さんは博士課程1年目、Matin Dokht Ashooriさん(愛称ロミナさん)イラン出身で同じく修士課程1年目です。Azza Al Ismailさん(アッザさん)はオマーンから迎えられ、博士課程の最後の1年を迎えました。

研究内容は?京大の研究室の環境は?

Q: 研究内容について教えてください。

尹さん:免疫ゲノム医学研究室でAIDプロジェクトの一員として研究しています。
AIDとは抗体のクラススイッチを起こす遺伝子です。AID遺伝子がないと一種類の抗体しか作られなくなります。つまり、AIDがないと様々な種類の病気に対応できないのです。

アッザさん:私は3年間、抗体のクラススイッチについて研究してきました。患者さんの中には抗体をバクテリアや他の侵入者たちと戦うために変化させることができない変異体を持った方がいます。私はそういった変異体について調べています。なぜそのような変異が起こるのか。この変異について知り、変異が起こる経緯と、どのようにクラススイッチに影響しているかがわかれば、どんな薬が効くかわかります。そうすれば治療につながります。

Q. 研究室ではどんな1日を過ごされていますか?

アッザさん:前日はたいてい次の日に行う実験のプランを書き出していますね。いつも試してみたい手法を書いた小さいノートに書きだしています。次の日、研究室に来たら何を始めたらいいかすぐわかるように。
それから細胞を確認して、健康であれば栄養を与え、注意深く見てから、試してみたい手法に使います。
例えばDNAの抽出やたんぱく質の分析のようなことですね。
時々、細胞の培養に時間がかかったりすることもあるので、そんなときは本を読んだり、学術論文に目を通したりしています。
それから2週間に一度は自分たちが発見したことをグループ全体で話し合うミーティングもありますね。

ロミナさん:私は今自分のプロジェクトを始めたばかりなので、指導先生から直接指導を受けています。
でも週に2回は自分のマウスの面倒をみる時間を作っています。
ケージの交換、個体数を数えて、繁殖しているか調べます。まだ初心者なので半日くらいかかっていますけど(笑)
今はほぼ先生についていくだけの状態ですが、週に何を学ぶかというプランを立てています。

ほとんどのところ、私は未来のために勉強しています。今まで免疫のことについてはごく基礎的なことしか学んでいなかったからです。
徐々に注射を打つことやマウスの世話もしています。まだ4年間あるので、まだまだ道のりは長いです。

尹さん:普段の作業内容としては、細胞を培養したり、DNAの抽出やたんぱく質の分析をしています。たんぱく質のはたらきのメカニズムを探る研究なので、この分野の研究の基礎になってきますね。

日本に留学するきっかけは?

Q: 日本、京都に留学したいと思ったきっかけは何でしょうか。

ロミナさん:理由の一つは本庶先生の評判です。それから京都大学のランキングも。
行きたいところは日本だったのでランキングは重要でした。トップランクの学校は東京で、2位が京都大学でした。
東京に住むのは大変そうでしたが、京都は静かで落ち着いた場所です。だからこちらの方が気に入りました。
京都はとてもクールだと思います、そして私たちの教授もです!

尹さん: 留学先としては京都大学が第一志望でしたね。
身近に京大出身の先生がいて影響を受けた部分もありますし、自分でもインターネットなどでいろいろ調べました。

子どものときから日本に関する本をよく読んでいて、留学するなら日本だと決めていました。
推理小説も好きですし、京極夏彦さんとか。

それから源氏物語も好きで、修士のときは宇治のキャンパスに通っていたのですが、
宇治十帖の舞台だと思うとうれしかったです。

修士のときは有機化学という今とは違う分野の研究をしていました。
そのときは周りに日本人の学生が多く、日本語がかなり上達しました。
外国出身であっても分け隔てなく接してくれる人ばかりで楽しかったですね。
修士から進学した友達とは今もよく会いますし、就職した友達ともたまに飲み会で会ったり、交友が続いています。

アッザさん:まず、私は日本の文化全体に興味を持っていました。アニメを見ていましたし、漫画も読んでいました。
日本語の勉強もしていましたし、自分の大学でも日本人の友達を作っていました。
彼らは折り紙など日本の文化について教えてくれました。そして住所を教えてくれて、「もし日本に来たら、連絡してね」と言ってくれました。

大学を卒業したとき、日本についての講義を見つけました。何についての講義かわかりませんでしたが、でも「絶対行かないとダメ、だって日本のことなんだから!」と友達を誘って講義を受けることにしました。そして、その講義は最終的には今受けている奨学金(MEXT)の話になったんです。
私は、これはきっと運命だと思いました。応募するしかないって思ったんです。応募してからは選考課程を次々と進みました、本当に速かったです。実はその時すでに働いていたのですが、奨学金の合格通知が来るとすぐに退職し、日本に来ました。

私が日本に来たのは、2011年の4月、東日本大震災のたったひと月後でした。

みんなは「仕事を辞めて日本に行くなんて、あなたはどうかしてる」と言いましたし、
みんな怖がっていました。でも私は奨学金でここに来ることができて、6年間支えられてきました。
私はあのとき「これはチャンスだ!」と思いましたね(笑)

日本、特に京都に来たのは自然が好きだったからです。特に四季を見てみたいと思いました。
ここに着いてすぐ、私にとって完璧な場所だと思いました。だから6年間、ここを動きませんでした。
それにオマーンでできた日本人の友達にも会うことができました。彼らは東京から私を訪ねてきてくれたんです!

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